UP 2011.4.10 HRY
シニア自然大学環境科2011年4月度野外活動
郡山城跡・城下町を散策する
◇日時:2011.4.8(金) 10:00〜15:00
◇天気:曇りのち雨
◇集合:JR郡山駅 10時
◇行先:大和郡山市 郡山城跡と城下町
◇参加者:環境科 39名
 「日本の桜100選」にも選ばれた郡山城跡と、その城下町を散策しつつ文化と歴史を知る。泉、紀伊、大和三国の太守・豊臣秀長百万石大名  の城跡は今なお戦国時代の面影を残し、多くの人が訪れています。また城内の桜はソメイヨシノ、大島桜、山桜、かすみ桜、しだれ桜、八重桜と種類も多く観光の名所でもあります。
郡山城の歴史
 郡山城の築城は、天正8年(1580年)、筒井順慶が筒井から郡山に移った時に始められた。天正13年(1585年)8月には、豊臣秀吉の弟、 秀長が郡山城に入城。秀長は、紀伊、和泉、大和の三ヶ国百万石の太守・大納言として城の大拡張工事を行う。壮大な高石垣は荒々しい野面 積みで寺院の礎石、庭石、五輪塔石地蔵(逆さ地蔵)等が用いられている。また秀長は、城下町の繁栄の為、奈良や堺の商人達を郡山に呼び 寄せ、地租免税や商売上の特権を与え箱本制度と言う自治組織を作った。(箱本13町制度)秀長の死後、増田長盛が20万石で入城し秋篠川 の付け替えや溜池をつないで周囲50町13間(約5.5Km)の外堀を完成させた。徳川時代となって水野勝成、松平忠明、本田政勝、松平信之、本多忠平など、徳川譜代の城主の後、享保9年(1724)柳沢吉里が甲府より15万石で入城6代145年間続いた。明治2年に柳沢保申が藩籍 を奉還し、明治6年には政府の方針により城郭が全て入札売却された。 
―行程
午前:
 JR郡山駅(10:00)―外堀緑地公園北門―外堀緑地公園南門―洞泉寺町(川本邸)―源九郎稲荷神社―箱本館―菊屋―大手堀―柳御門跡―鉄門跡―追手門―柳沢文庫
午後:
 城址会館―城廻り散策道―柳澤神社―郡山高校(二の丸御殿跡)―西公園―永慶寺―大納言塚―金魚資料館―近鉄郡山駅
ボランティアガイドさん2名のもと 1班(1,2班)  2班(3,4班)に別れて案内、説明を受けながら散策をする。

郡山駅前で

歩道にはめてある案内板
外堀緑地公園北門、南門
 26億円の費用をかけて平成12年に作られた散策公園。手作り郷土賞受賞

郡山城外堀

外堀緑地南門

外堀緑地北門 冠木門
洞泉寺町(川本邸)
 このあたり一帯は、江戸時代からの有名な遊郭のあとで、細い路地の両側に細い格子の家並が続く趣のある町。川本邸は、公開されている 建物で、とても腕の良い大工、職人の手作られている。地袋、筆返し、ちんくぐり、雪見障子は、横に開くなど、細部に手がこんでいる。
廃止後は、アパートとして使用されていた。

前方に3階立ての元女郎屋

大正時代に建てられた遊郭(旧川本邸)
源九郎稲荷神社
 古くは、日本三代稲荷の一つ。源義経が吉野に落ちのびた時、白狐が側室静を送り届けた話は有名。

源九郎稲荷神社
箱本館
 箱本は、豊臣秀長の時代(1585〜1591)に成立した郡山町中の自治組織。地子免除の特権を与えられた内町十三町で始まった。箱本に課せられるおもな任務は、治安維持、消火、伝馬など。この制度は、町が交代で自治にあたることでさまざまな意見をくみ取り、問題に応じてさまざまな対応ができる自由な住民自治の先駆と言える。

箱本の説明を聞く

金魚すくい道場
菊屋本店
 老舗の和菓子屋150年ほど前の建物。天井に型板が保管されている。

菊屋本店(和菓子)
追手門
 秀長築城当時に近い形で、昭和58年に追手門が復元され、続いて、追手向櫓、多聞櫓、追手東隅櫓などが昭和62年にかけ再建された。

郡山城一番の写真スポット 内堀

追手門

追手門櫓と満開のサクラ
柳澤文庫
 柳沢家の所蔵する書画や江戸期の郡山城図などを公開しています。昭和35年郡山城跡が県の市跡 指定になったのを機縁として財団法人  郡山城史跡・柳澤文庫保存会として発足。

柳澤文庫
― 午後 ―
城址会館
 昭和45年に奈良県立図書館(明治41年築)を譲り受け、郡山城跡に移築した。平成9年には、県の指定有形文化財にされた。

城址会館(元奈良県立図書館)
柳澤神社
 本丸跡にあり祭神は、五大将軍綱吉の側用人柳澤吉保。明治13年旧藩主によって建立。

柳澤神社
天守台
 柳澤神社の裏手には、天守台があります。今は、建物はなく、登っても石碑のみですが、秀長公の時代の石垣が当時のまま残っています。
「野面積(のづら)積み」という方法で積まれた天守台の石垣には、石不足のため、各地から集められた石地蔵や五輪塔まで使用されている。さかさ地蔵もその一つ。
標高82mで眺望がよく、奈良の春日山原始林、東大寺の大仏殿、興福寺の五重塔、薬師寺の二つの塔、唐招提寺の講堂等の世界遺産が遠望できる。今日は、雨のため立ち入り禁止。

さかさ地蔵
郡山城の御殿桜
 約420年前の天正年(1588年)に、豊臣秀長が多武峰談山神社を城内に選座したときに桜も城内に移したと言われている。その後、柳澤吉里が郡山に入城した時(1724年)多くの桜を補植し、花の時期には、藩士や町民たちの楽しみとなり、御殿桜と呼ばれていた。
平成2年には「郡山城址公園」が「桜名所100選」に選ばれた。

しだれ桜

城内の四阿(あずまや)
永慶寺
 郡山城主柳澤家の菩提寺で、柳澤吉里が交付から国替の際、当地に移築したもので、山門は、旧郡山城城門を移築したもの。門だけが、残っている。
大納言塚
 豊臣秀吉の異父弟、大和郡山百石の城主。大和大納言秀長の墓所。優れた宰相であり、人々に慕われていた。

大納言塚(豊臣秀長の墓)
郡山金魚資料館
 郡山の金魚は、柳沢吉保の子、吉里が甲斐の国(山梨県)から大和郡山の藩主として国替りして来た時に持ってきたと伝えられる。武士の内 職として飼育していた金魚の養殖技術が、江戸末期から明治初期にかけて付近の農家に伝えられて、水利の便と地の利を得て盛んになった。 生産量は、日本一。

金魚養殖池

金魚資料館

貴重な金魚
まとめ
 桜は、満開で百万石の大きな城を偲びつつ気持良く散策出来ました。 城下町にも古の面影があちこちに残り、古都奈良を堪能しました。川本邸、菊屋など木造の古い建物に、作りの良さを教えられ、大事に使い守り続けられる様はやはり奈良だと感服しました。また、城跡に建つまだ新しい郡山高校もしっとりと周りに溶け込みうらやましくさえ感じました。金魚資料館は、色々な種類の金魚を見学できましたが、どのように養殖するのか興味があります。天気予報通りの一日でしたが、小雨で暖かく、桜は、満開で見たこともない建物も見学出来,余韻の残る日となりました。ただ、雨のため立ち入り禁止となった天守台に行くことが出来なかったのが残念です。いつか、近い将来登って展望を楽しめる日を楽しみにします。
十五万石に人集ひたり花の城      二三弥
文/田中(富)、写真/飛山・石井 俳句/鈴木、編集/平山
企画:西森、田中(富)

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