コーガアイソトープ見学と信楽の歴史探訪

■日時:2007.12.7(金) 晴れ
■集合:JR草津線 甲賀駅 10:05
■行先:滋賀県 甲賀市
     (株)コーガアイソトープ
     紫香楽宮遺跡および信楽町
■参加:環境科32名
スケジュール
10:05〜10:15 甲賀駅→(株)コーガアイソトープ バス移動
10:20〜12:15 (株)コーガアイソトープ見学
12:15〜12:50 バス移動 昼食および事前学習
12:50〜13:15 紫香楽宮跡見学
13:20〜13:40 宮町遺跡見学
14:00〜15:00 信楽散策
15:00〜15:55 バス移動 JR草津駅解散

コーガアイソトープ見学10:20〜12:15

環境科個人発表で、島崎さんから放射線利用の講義がありましたが、本日は放射線を使って滅菌事業を行っている株式会社コーガアイソトープを滋賀県甲賀市の工業団地に訪ねました。西日本唯一の照射専門会社で、ここでは、コバルト60の発するガンマー線で、注射器、メス、人工腎臓、手術用手袋などの医療器具、検査用具、包装材料、実験動物の飼料の「滅菌」や高分子材料などの「改質」を行っています。

会社概要説明

医療器具など照射対象製品

コバルト60(線源)のペレット見本
社長および幹部から会社概要、ガンマー線滅菌の原理、その長所、応用例などの説明を受け、自動化された滅菌工程を見学する。照射対象品は、人の背丈ほどもある照射容器に充填され、搬入口から10分間隔で照射室に運ばれる。コバルト60(線源)のガンマー線照射を受けて滅菌され、約7時間後に搬出口に戻ってくる仕組みになっている。

照射対象品は背丈ほどもある容器に入れる

2.2mのコンクリート壁で囲まれた照射室へ

照射室(線源は深さ8mの水槽に格納)
入室のための教育訓練を受け、ガイガーカウンタと線量計をつけ、2.2mの厚さのコンクリート壁に囲まれた照射室に入る。ガンマー線は水を通さないので、コバルト60(線源)のペレット(約400本)は深さ8mの水槽に格納されている。照射時は水槽からペレットが引き上げられ、照射容器がその周りを移動して、対象品に均一にガンマー線が当たるようになっている。
この滅菌方法は、ガスや熱湯滅菌に比べ、温度上昇を伴わない、有害残留物が残らない、最終包装形態で処理できるなどのメリットがあり、かつ照射過程ではCO2は全く排出しないので環境負荷が小さい。一方で、建設設備コストが高い、放射線の安全管理の課題もある。
日本の放射線利用は多岐にわたり、利用技術も世界の最先端をいっているが、食品照射に関してはジャガイモの発芽防止のみで、世界から大きく遅れをとっている。食料品ということで、放射能アレルギーが根強く残っているためであろう。しかし、輸入食料品の多くが放射線照射を受けているのである。

コーガアイソトープ正門にて(右端 岩永社長)
なお詳細は、2007.11.9島崎憲二氏発表の資料「放射線利用の話」を参照ください。

紫香楽宮遺跡探訪12:50〜13:40

歴史に造詣の深い山崎さんの案内で、同じ甲賀市にある紫香楽宮跡を訪れる。見学にあたり、バス内で事前の講義を受ける。紫香楽宮は、短期間ではあるが、聖武天皇が築いた宮都である。724年に即位した聖武天皇は、740年から745年まで平城京を離れ、5年の間に恭仁京、難波京、紫香楽京、再び平城京へと都を移している。紫香楽宮は離宮として2年、都としては僅か5ヶ月の命であった。その不可解な遷都は、平城京での権力闘争から逃れるためといわれているが、「副都制」説など、まだ謎に包まれたままである。
(1)紫香楽宮跡は甲賀寺跡

松林に囲まれた紫香楽宮跡は実は甲賀寺跡

甲賀寺金堂跡

同講堂跡
現在の紫香楽宮跡は、最初は宮跡と認定されたが、昭和5年の発掘調査の結果、伽藍配置の多くの礎石が見つかり、ここは聖武天皇が大仏造顕を願って建立された甲賀寺(近江国分寺)跡に間違いないことが分かった。大仏は遷都のため完成にいたらず、後に奈良東大寺で完成をみた。真の紫香楽宮跡はここから2Km北方の「宮町遺跡」である。しかし、国はまだここを宮跡と指定したままである。
踏み入れし甲可寺跡落葉降り     二三弥
(2)新宮遺跡
甲賀寺跡から北へ、宮町遺跡に至る途中に新宮遺跡がある。この周辺からは道路と橋の遺跡が発掘され、これは紫香楽宮に通ずる「朱雀路」と考えられている。真北に真っ直ぐつながっている。今はただの田園風景だが、その壮大さが想像できる。来年には、新名神高速道路が横切る。
(3)宮町遺跡は紫香楽宮跡

発掘調査が続く宮町遺跡(朝堂跡)

田園風景の中の宮町遺跡

真北に長さ100mに及ぶ朝堂の柱の跡
宮町の集落から坂道を下り、水田地帯を歩くと宮町遺跡発掘現場に至る。昭和40年以降、発掘調査が続けられていたが、平成12年には、「朝堂」の一部と見られる長さ100mに及ぶ長大な建物跡が発見された。その後も、宮殿施設の一部や7000点以上の夥しい数の木簡、土器や木製品、瓦などが出土している。土器や瓦を見ると、この近辺には窯がいくつかあったと見られ、これが信楽焼のルーツではないかと推察される。居合わせた女性調査員から、発掘の模様などをお聞きすることができた。

冬の日に朝堂の跡露はるる     二三弥

なお詳細は山崎さん作成の「紫香楽宮跡」散策メモを参照ください。

陶芸の町信楽散策14:00〜15:00

街中にたぬきの焼物が並ぶ陶芸の町信楽

信楽伝統産業会館

窯元散策路の窯跡

窯元散策路入口の新宮神社
日本六古窯のひとつ信楽焼はたぬきの焼物で有名です。「やきものどおり」で車をとめて約1時間、信楽伝統産業会館で、天平時代から続く焼物の展示品を見学し、窯元散策路を歩く。平日のためか、観光客や道行く人はほとんどなく、崩れかけた窯にわびしさを感ずる。
・冬日燦陶のたぬきの立ち並ぶ
・登り窯崩し崩して冬寒し
・伊賀甲賀忍者の里の冬田かな
     二三弥
16時、JR草津駅で解散。本日は、忍者の里甲賀の先端技術の見学と歴史探訪の有意義な一日となりました。ガイドいただいた島崎さん、山崎さんに感謝致します。本文の一部は島崎さん、山崎さんの資料を参考に、また俳句は鈴木さんから提供いただきました。  文・写真 平山
                                                                               
企画担当:島崎憲二

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